「日本の管弦楽」としての魅力をきく
毎年暮れに聴く伶楽舎の演奏会、楽器別に行われてきた特集テーマが 今回は「打ちもの」つまり打楽器だった。「こと」の特集のとき、長い 歴史のなかで、多様な奏法がいつか忘れられて文字にしか残っていない 事実に驚かされたが、今回も楽器そのものにかなりの栄枯盛衰があるら しいとわかった。
曲目第一部はよく知られた舞楽の「青海波」、次に廃絶曲になってい た曲を芝裕靖が復活させたという「曹娘褌脱」、そして第二部には猿谷 紀郎に作曲委嘱した新曲「綸綬」が置かれた。曲ごとに楽器を示しなが ら宮丸直子が説明してくれるのもありがたい。
猿谷への委嘱にあたっては、打ちものに焦点をという注文をつけたと のこと。編成は「青海波」と同じく、太鼓はまず両手に桴をもって打つ 鞨鼓をはじめ、太鼓、鉦鼓、笛は笙、篳篥(ひちりき)竜笛の各三種ず つ、それに琵琶と箏が加わった十六名の基本的な編成だが、打楽器に は、二曲目の芝の復曲「曹娘褌脱」のさいに作られたという鐘鼓のほ か、まったく新しい楽器としてサヌカイトが加えられ、それらを何人か が持ち替えて演奏した。
「綸綬」という曲名は、作曲者が伊勢神宮神嘗祭の夜の神楽で受けた 印象を美しい御簾の飾りに託して名付けたとのことだが、雅楽といえば 楽器の美しさも大きな要素であることもあらためて認識された。
打ちもの特集なのだからあえて付け加えれば舞台の中央に位置する大 太鼓(だだいこ)は美しさの象徴のように目立ち、後ろに控える笛をは じめさまざまな楽器にはさまたげになるほどの大きさと位置だ。しかし それも洋楽オーケストラにおける指揮者の役を担っていると思えば納得 がゆくではないか。
雅楽の合奏は管弦といっても擦弦楽器のヴァイオリン属が主体になっ て発達してきた洋楽オーケストラとはちがって主役はむしろ笛と太鼓。 琵琶や箏が加わってもそれはもともと旋律をかなでるわけではない。全 体が微妙にゆらぐ音の集成で、それを私たちは独特の味わいとして心地 よく聴く。
打ちものそれぞれもそうなのだが、今回はまったくあらたな楽器とし て加わったサヌカイトのなんともすがすがしい音が伝統楽器のお株をう ばいかねない様子さえうかがえた。旋律が歌われなくても微妙の音のゆ らぎや音色全体のひびきにいくらでも魅力を感じるのである。
「綸綬」はまだ生まれたばかりの曲である。今後、演奏を重ねること によって、さらに多くの人をひきつけるようになるにちがいない。大き くいえば、なにか新しい雅楽の歴史が始まるかのような気さえしたもの である。
(サヌカイトは讃岐地方で採取される固く緻密な石。東京文化会館小 ホールのロビーにある。
伶楽舎雅楽コンサートNo.23 は2010.12. 22 四谷区民 ホールにて)
この一文は、去る1月24日付け「しんぶん赤旗」に掲載のものだが、このHPではちょうど一年前にも雅楽についていくつかの文を載せているので、その続きとしても讀んでもらえるかと思い、再録した。
そこですでに書いているようにサヌカイトを楽器として使った曲には長澤勝俊の「朱輪金鈴」がある。それは1971年のこと。それはサヌカイトを楽器として使ったほとんど最初の試みのようで、そのときの苦労のさまは『長澤音楽のすべて』(日本音楽集団発行)に詳しい。
今回伶楽舎が「綸綬」のために使ったのは、プログラムによれば讃岐在住の宮脇磬子氏から借りたものであるという。サヌカイトが特殊な岩石として命名されたのはずいぶん古いことだが、長くベル替わりに鳴らされていただけであり、楽器として定着するにはまだもう少し時間がかかるかもしれない。
ともあれ、現代邦楽のなかに入った楽器サヌカイトが、40年の後に雅楽の楽器のなかに入ったというわけで、伝統とその継承発展の歴史は文字通り息の長いスパンで見なければ到底見通すことはできない問題なのだと教えられる。
2011年2月 小宮多美江
最近のコメント