2009年6月 8日 (月)

蔵できいたバッハ、そして「夜の歌」

 現、淡路町画廊。
 建物は大正6年、本屋の蔵として建てられたという。ひとかかえもある見事な梁には、施主の名、棟梁の名、大工の名まで墨書されていた。
 その梁の下で、一人、耳を傾けると、バッハや尾崎宗吉の「夜の歌」の音楽からは、不思議なことにチェロという楽器が遠くヨーロッパの生まれであるのに、干し草の匂いのするこんな家で、この響きは育まれたのにちがいない、と感じたのであった。
 そして、こんな貴重な建物が、日ならずして消えてしまうなどということがまったく信じられない気がしたものである。                                 小宮多美江

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2009年6月 3日 (水)

蔵の響きコンサートで「夜の歌」が

緊急のお知らせ
 詳しくは パッサージュ企画 web:www.passagekikaku.com をご覧ください!

2009年6月6日(土)昼の部 13:30 , 夕べの部 17:00 開演。
  淡路町画廊 蔵の響きコンサート 

  柳沢康司のチェロ、竹内恵子のピアノで、尾崎宗吉「夜の歌」が演奏されます。

 このところ、真鶴で吉田隆子と清瀬保二、日本音楽集団で清瀬保二 と続いたので、そろそろ、空の向こうから尾崎宗吉が、僕のことも忘れないで! と云ってくるのではないかと思っていたので、私としてはとても嬉しく思っています。                  小宮多美江 

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コンサートを終えました

前回予告した日本音楽集団演奏会を、はじめてきいた方からこんなうれしい反響がきました。
詳しくは後ほど報告する予定。また見てください。

 「先日の日本音楽集団のコンサートはとても楽しめました。ご紹介くださって、本当に
有難うございました。久しぶりに気持ちが高ぶり(?)ました!」(T)  
                                    小宮多美江

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2009年5月10日 (日)

「集団」発足のエネルギーをうつしだす

演奏会まであと10日、至急お申し込みを!
     当社メールへご連絡いただければ1割びきでお求めいただけます。

日本音楽集団創立45周年記念シリーズ 
現代邦楽の黎明ー清瀬保二から長澤勝俊へ

練習会場訪問記:
 連休明けの8日、練習会場を訪れた。楽譜が音になっていくわくわく感をひさしぶりに味わう。
 清瀬保二「日本楽器のための八重奏曲」はなんといっても45前の作品。私も初めて耳にする。
 作成中の浄書譜(作曲者自筆スコアを元にした)を手にしながらきく。
  「第1楽章は全合奏によるゆっくりとした壮大な感じの序奏のあとアレグロとなり、第1尺八と第1箏とのユニゾンで第1主題が奏され発展したあと、第2尺八と第3尺八によって軽快な第2主題が経過部のようにあらわれるが、次に篠笛にあらわれる第3主題が一番発展性を持ち、コーダをもって終る。
 第2楽章は遅く暗く、哀愁に満ちた曲だが、ここでは篠笛が重要な役割を持つ。
 第3楽章は軽快でリズミックでひとつの主題がいろいろ形を変えて発展していく。
 第4楽章は尺八の全合奏による明るく荘重な第1主題と第2楽章に現れた悲しい感じが交互に形を変えながら発展してゆき、やがて箏のリズムが主題的な機能に整えられると尺八全合奏で新たに第2主題として発展、箏もそれを受け継ぐ。その後、最初の第1主題に似た明るい第3主題が全合奏に現れ、リズムにのってやや民謡風に形を変えて最高潮に達して終わる。」(作曲者)

 清瀬保二がこんな風に曲の内容を詳しく説明するようになったのは、「木管とハープのための五重奏曲」がそうであるように、労音の例会で演奏される機会がふえてからのようだ。たいへん貴重なのでさらに続けるとしよう。

 「これまでの洋楽作曲と同じく、とくに曲の構成ということを考えた。描こうとしたことは、表題的な意図ではなく、終戦後から今日まできた日本の発展の姿、いろいろ起伏もあった、そういうところを4楽章を通して描いてみたいと思った。」のだと。
 ここで、「ヴァイオリン・ソナタ第二番」に付されたことばを再録しよう。
 「1945年、日本は戦争に破れた。これについて各人いろいろの感想なり反省はあったと思います。ある人たちは、日本人に対する自信をなくし、虚脱状態になっておりましが。また一方には、民主的解放の気運とともに、複雑な心理と風景がありました。しかし、私自身は、自己喪失にはなりたくないし、なりたくないどころか、反発をも感じ、反省は反省として、再びたちあがらなくてはならない意志を強く持つ気持ちでした。
 日本国中、焼け野原になり、私たちの近代文化も焼け野原になった感じがいたしました、しかし、私はふと、古い奈良時代、江戸時代の文化を思い出しますと、そこにあるものはなにも破壊されていない、日本の文化は,狭いものであるかもしれないが、しかし、とにかくそれを経て、今日のわれわれにつながっています。私はそこに足がかりを求めました。ラジオから流れる「尋ね人」の声が空きっ腹にしみいったことは忘れられません。」

 『尋ね人」の時間の放送を思い出せる人はもう少数になったに違いないが、その哀愁感は、「八重奏曲」第二楽章に、清瀬保二特有のチゴイネル音階の力でつよく訴える。
 だが曲は、全体的に明るく、演奏者たちが合わせるごとに「演奏する楽しさ」感を高めていくのが、よく実感された。その清瀬保二独特のリズムが生み出す高揚感は当日までに、さらに、練り上げられていくことだろう。

 一人でも多くの方が会場に足を運ばれるようおすすめします。   小宮多美江

 

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2009年3月31日 (火)

清瀬保二作品一覧

ヴァイオリン・ソナタ第1番(1941〜2)           ¥4000
ヴァイオリン・ソナタ第2番(1948)             ¥4000
ヴァイオリン・ソナタ第3番(1950)             ¥3000
ヴァイオリンとピアノのための二楽章(1960)         ¥3000
ヴァイオリンとピアノのための日本民謡集(1955)       ¥2000
第2ピアノ三重奏曲(1955)                  ¥4000
木管とハープのための五重奏曲(1957)            ¥4000
無伴奏チェロのための二つの楽章(1973) ¥1000
第2ピアノ曲集 新版 解説付録付 ¥2000
バラード ¥1000  四つの前奏曲 ¥2000
郷土舞踊曲集(委託)¥1000

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清瀬保二の傑作ついに発行

新刊紹介
清瀬保二「木管とハープのための5重奏曲」
            パート譜とも 4,000円

 このたびようやく清瀬保二作曲「木管とハープのための5重奏曲」(1957)のスコアおよびパート譜発行にこぎつけました。
 清瀬保二の室内楽をご存じの方なら、この曲が作曲家自身もとくに愛していた作品だということに同意されるのではないでしょうか。
 スコアは1960年11月号『音楽芸術』の挿入楽譜として発行されていますが、今回は、放送初演時のスコア、パート譜はじめ、62年の舞台初演以後ずっと使用されてきたパート譜も参照しながら、校訂に努力して作成しました。
 作曲は1957年6月、依嘱はNHK国際局で。国際ミュージック・サロン名で放送初演。放送は1回だけではなかったかもしれないのですが、それは確認できていません。挿入楽譜解説にあるように、1958年1月の山根銀二との対談、NHK第二放送『人と作品』では、啄木歌曲その他、清瀬保二主要作品のひとつとして第二楽章の一部がとりあげられています。
 「作曲者のことば」もいろいろありますが、そこでも第二楽章について触れている部分を注目したいところです。

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2008年10月23日 (木)

演奏会は

渡部玲子演奏会は、お客様それぞれの胸に、大きな感動を沸き起こして終わりました。
来年もまた、同じ会場で、同じような、あつい演奏会がひらかれます。ご期待ください。

会場では書籍『吉田隆子』が多くのみなさんの手に届けられました。

合わせてCD『花岡千春 清瀬保二ピアノ独奏曲全集』も紹介しましたが、やはりまだまだ、ききたいと思っておられる方々のところに、届いていないということがわかりました。
音楽の世界社のいつもの方法でお届けできますので、ご一報ください。

ちなみに、私の解説文をここに紹介いたします。

清瀬保二(1900~81)
 清瀬保二は20世紀近代日本を代表する作曲家のひとりである。
 1900(明治33)年1月13日、宇佐神宮のお膝元、大分県宇佐市四日市町の大地主の次男として生まれた。それは「荒城の月」の作曲者滝廉太郎が外国留学に旅立つ前年。山田耕筰がはじめてベルリンに向かうのは10年後。信時潔が東京音楽学校研究科作曲部修了証書第1号を受けるのはその5年後、外国留学はさらに5年後の1920年のことになる。
 清瀬保二は中学入学の年、父を亡くす。多感なそのころのかれを慰めたのは兄が福岡から持ち帰ったヴァイオリンであった。中学を終えれば旧制高校受験。一度で入学を果たすことはできず、上京しての浪人生活のあいだに、日比谷公園野外音楽堂の軍楽隊演奏に出会い、耳新しい半音進行に驚いたりするが、受験生としてはそれ以上ひきつけられるわけにはいかなかった。
 1919年9月、新しく開校した松山高校(旧制)に無事入学するが、受験中もずっと手放さすにいたヴァイオリンの楽譜探しがきっかけで、偉大な作曲家ベートーヴェンの音楽との運命的な出会いを経験する。松山の楽器店にあった弦楽四重奏のための「メヌエット」の楽譜は、鳴門市板東の「第9」エピソードと同じくドイツ兵捕虜の置き土産ではないかという、このあたりのことは現代日本の作曲家シリーズ3『清瀬保二』(クリティーク80編著 音楽の世界社)の伝記に書いているが、せっかく入れた高校をさっさと止め、「生涯をかけて作曲家になる」という明確な目的を胸に抱いて上京する。それが、1920年はじめのことである。
 そのような一大決心をした清瀬保二に、友人が持たせてくれた二枚の紹介状。それは、田辺尚雄と山田耕筰あてであった。田舎から出てきて突然訪れた青年にたいして田辺は、作曲志望なら山田耕筰のところへ行くが良い、丸善(書店)へ行けばリーマンの『機能和声学』の本があるだろうから、それを勉強するといい、と助言した。
 山田耕筰のところにはすでに大中寅二その他数人の弟子がいたが、ピアノにさわったこともない清瀬保二には、和声学教科書どおりのレッスンで、平行5度、平行8度禁止などいわれても、そもそも理論的根拠もわからないし、質問する勇気もなく、さりとて黙ってついていく気にはなれず、断りもせずに止めてしまう。
 それでも、作曲への決意がゆらいだというわけではないので、しばらくは東京の音楽界の様子を観察、たとえば山田耕筰リサイタルを聴く。といっても自作品の発表演奏会ではなく外国人の伴奏による山田耕筰独唱会である。そのほかいろいろときいてまわったのち、今度は郷里よりさらに南の指宿へ、病気療養の名目でひっこんでしまう。まもなく、郷里四日市町で女学校教師をしていた大分出身の幸(ゆき)ナヲを呼び寄せて妻とする。作曲家生涯の良き伴侶である。鹿児島での数年を経て、ようやく郷里へ帰ったのが、1924年。
 そのころから、再度の上京を考えはじめたようで、1925年、大阪で日露交歓交響管弦楽演奏会を、東京でジル=マルシェクス連続演奏会をきく。その11月、阿佐ヶ谷に居を定め家族ともども上京する。
 そこ阿佐ヶ谷には小松耕輔(1884~1966)の家があり、その応接間にはフランスをはじめ外国の音楽情報があふれていた。平五郎、清兄弟もいたし、少し年下の松平頼則(1907~01)とも親しくなる。
ひきこもっていた5年のあいだかれは何をしていたか。オルガン(ピアノをとはいいかねて、その代わり大型)を買ってもらい、大阪三木楽器店から取り寄せたたくさんの輸入楽譜を片っ端から弾いてゆく。それと、毎日ひとつ以上の旋律のデッサンを自分に課した。書かれた五線紙は柳行李からあふれていたが、上京のさいに持参したのは、ごく一部。そのなかのいくつかの曲を小松家に持参、グランドピアノの前にすわり、自演、自唱して講評を乞うたのである。
 ほどなく小松家での仲間のほかに演奏会で箕作秋吉とも知り合い、その独特の行動力にひっぱられて、同世代の作曲家のたまごたちは1930年、新興作曲家連盟(現日本現代音楽協会の前身)結成へとつき進んでいく。そこで同志となるのはほぼ1900年代初期生まれ、つまり山田、信時の次ぎの世代ということになる。
 そこに到る前の1927年ごろ、清瀬保二の家を訪れたひとりの声楽家がいた。フランスでシャルル・パンゼラに学び、帰国後は大阪にいたバリトンの照井栄三(のち詠三)が東京でリサイタルを開いた直後のことらしいが、盛岡出身のかれは、故郷の歌人石川啄木の短歌に作曲している人がいるときいて、かけつけたのである。十歳も年上の音楽家の訪問に驚きながらも清瀬保二は、作曲してあった啄木の歌曲、「いつとなく」「東海の」「砂山の」などを見せた。
 照井は即座にその価値を見抜き、のちに次ぎのように言っている。
 清瀬保二の作曲の特長は、音楽表現形式の単純化にあるが、その単純性を保持しつつも、内在的転調と変化と複雑性とを表現しようとしている。
 照井はすぐさま清瀬保二の作曲した「いつとなく」をレコードに吹き込み、翌年にはもう、作曲家の故郷大分、佐伯、中津、四日市一円の演奏旅行の計画を告げ、清瀬保二本人を伴奏者としてそれを実現している。
 清瀬保二の伴奏ピアニストとしての活動は、小松清の紹介でさらに忙しくなっていくのだが、照井のフランス、スペインなど、また作曲家仲間の文字通り現代的な書法の曲の初演者として、作曲家連盟発足後かなりあとまで続けられた。独学だからこそドイツ音楽に偏ることなく、幅広く西洋音楽に接していたその基礎が、当時ほかのピアニストには得られない演奏能力として評価されたのである。
 以後、照井の盛岡はじめ東北、新潟方面への演奏旅行では、曲目にピアノ独奏も加えられるようになった。札幌での演奏会では、まだ中学生だった伊福部昭が、清瀬保二のひくショパンやドビュッシーを客席できいたという話がのちのち伝えられている。
 また、照井の関係から詩人前田鐵之助を知り、詩誌『詩洋』に曲も掲載され、『音楽新潮』の仲間にも入ることになって、清瀬保二は、作曲家連盟発足以前にすでに日本の音楽界の一角に、ある位置を占めたのであった。
 1930年には、ピアノをヤマハからエラールへと買い替えている(1929年、No.119464、現在、日本近代音楽館に収蔵)。当時の値3000円、普通の家なら三軒は買えたのではないか。時代は飛ぶが、だから、日本経済がまだ戦後から抜けきれない1950年代はじめ、日本代表としてユネスコ国際音楽会議参加出席の使命を帯びて渡航のさいには、エラールを手放して旅行費用にあてたものである。ふたたび書斎に戻った作曲家愛用のそのピアノは、亡くなるその日の朝まで、毎日弾き続けられた。
 30年代から40年代にかけて、ピアノ曲が多く集中して作曲されているのは、当然といえば当然であろう。もちろん、次第により若い世代も加わってくる作曲運動の輪の中にいて、歌曲、ピアノ曲以外に、管弦楽、室内楽などのジャンルにも手をつけるようになる。そのような流れをふまえて清瀬保二の創作史を眺めなおしてみると、1936年の「琉球舞踊」が、ひとつ重要な分岐点に位置していることに気づく。
 それはちょうど日本の近代の作曲全体が、歌曲中心からいわば本格的な作品へ、はっきりと進展していく時代でもあった。そのことに、音楽ジャーナリズムも気づき始めたからだろうか。当時もっともポピュラーな音楽雑誌だった『音楽世界』誌が珍しく「作曲研究」を特集し、多くの作曲家たちに書かせている。その中の文章「作曲するまで」で清瀬保二は、自分の歩んだ独学のあゆみを次ぎのように語っている。(以下『音楽世界』誌1936年7月号より引用者要約)

 独学とは、自分が自分の作品の批評家にならなければならないことであり、当然ながらその道のりは決して急いで歩めるものではない。重要なのは何を描こうとするかであり、つねに反省し、学び、ゆっくりと熟達していくのだ。
 作曲し始めたころは毎日、日記を書くようにメロディーを書いて行ったが、それは一つのテーマをいかに流れさすかに注意したのであり、そうして行くうちにそのメロディーのなかからおのずと湧いてくるように、和声を感じることもあった。
 以前は、一つの歌曲を作るまでに、詩のアクセントからリズムから注意してぎりぎりまで訂正してほっとしてから、伴奏部が浮かんだことが多かったが、近ごろはほとんど同時に浮かぶのでこれでは苦しまなくなった。

 このCDをきいてくださる方には、まず音を、演奏者の再現した音楽そのものに耳をかたむけてくださるようおすすめした上で、作曲者清瀬保二の上記のようなことばから、思い当たる曲を少し例としてあげてみようと思う。たとえば、
 1、「ひとつのテーマをいかに流れさすか」の例として、第2ピアノ曲集の最初の曲、アンダンティーノは、わかりやすいかも知れない。
 2、「旋律が浮かぶと同時に和声が感じられた曲」の例としては、すでに言及したなかからあげれば啄木歌曲の「いつとなく」がそうであるし、最近、自筆譜から印刷譜(音楽の世界社PR誌『クリティーク80』30号)となったタゴールの詩による歌曲「園丁より」(1929)もあげておく。照井栄三が、最後の来日となったインドの詩聖タゴール歓迎会の席で、伴奏なしで独唱した曲だからである。
 清瀬保二の旋律のもうひとつだいじな特徴には、増音程への強い志向がある。それは、啄木の「東海の」にもすでにあらわれているのだが、わかりやすい例には、やはり第2ピアノ曲集のブルレスケや偶感がある。
 ところで「琉球舞踊3曲」は、新興作曲家連盟が国際的にも発展し、日本現代作曲家連盟と改称してからの第3回作品発表会(1937年6月)で、再来日中のジル=マルシェクスによって初演されている。そのとき、いきなり楽譜から読み取った演奏者の高い音楽性に作曲者自身が驚嘆している。
 よく知られているように、琉球の音楽にたいしては現在にいたるまで非常に多くの日本の作曲家がそれぞれ関心を示し、さまざまなアプローチをしてきているが、清瀬保二の場合のように、音楽のもっとも基本的な本質的な要素のレベルで創造的な鍵をそこで握った例はほかにないのではないか。
 アンダンティーノは、松平頼則の指摘によって清瀬保二の「愛好品」のひとつジプシー音階による曲の例とされているが、しずかに鳴りはじめる一本の旋律は、5度または4度の和音にささえられながら、どこまでも同じように流れ続けるかに見えて、いつのまにか高揚し、クロマティックなアルペジオに至り、ミスティカルな余韻をのこして、かすかに消えてゆく。
 この旋律と和音、そしてクロマティシズムにいたる経過は、作曲者が生まれてはじめて琉球音階に接して驚き、一晩のうちに琉球舞踊3曲を生んでしまった、その創造的、質的転換のたぐいまれな経験あってこそ生まれたものではないか。
 さいごにあらためて思うのは、清瀬保二の独学ゆえの創造の道程には、どうやら、いわゆる習作というものはひとつもなくて、すべての作品が、まさに、ひとりの人間が正直に時代・社会に向き合って生きた、そのすべての時間から生み出されたものにちがいないのだ、と。


定価は4200円ですが、特別割引、送料こみ3200円でお届けできます。
ご連絡ください。

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2008年10月 8日 (水)

書架散策

吉田隆子著『音楽の探求』真善社
                                   

 若い研究者の訪問を受けたあと、ふと『音楽の探求』を取り出してみた。
 扉をあけると、著者のサイン。日付は1948年六月。60年前だ。ときに私は17歳。もちろん生まれてはじめて、著者からサイン入りで直接いただいた本である。
 カバーがかけてあったので、黄色地に紫と緑にいろどられた雅楽の楽器磬(けい)数個がおかれた硲伊之助装幀の表紙はまだきれいで、心を落ち着かせてくれる。しかし仙花紙の本文はすっかり赤茶けて、逆にそこにこめられた著者の批判精神にみちた思いを、熱く、鋭く感じる。
 どうしてここまで激しいのか。その答えは、研究の断片(病床日記からー昭和16年1月—10月)を読めばわかる。
 人形劇団プークからプロレタリア音楽運動へ、社会的にさらにきびしくなるなか、ひろく若い演奏家にもよびかけて創作と演奏のあたらしい活動を展開する。
 その道なかばでとらえられ、重篤な腹膜炎で帰された。再起不能と思われた病との長いたたかいが、あの戦争のさなか続いたのだ。音楽を聴くことさえままならないなか、だから一層ふつふつとわきおこる「作曲したい」気持ちをどう押さえたのだろう。
 序文では、滝廉太郎の「荒城の月」にはじまる日本近代の音楽史は、昭和初期、この國特有のむずかしい課題と直面しながら新しい歩みとして刻まれ始める。そのなまなましい様子が語られている。
 この私は、吉田隆子が病臥中から描いていた自国の音楽の歴史を、ほぼ50年をかけて、とりあえずの略史としてまとめた。
 だが、その歴史にこめられた音楽の中身を、私たちの日常の生活のなかに生かしきる仕事は、いまようやく始まろうとしているのである。
 その成果をひとつひとつよろこびながら、なお個々の作曲家の研究を、若い友人たちと一緒にもうしばらくつづけようと思っている。                
                     小宮多美江 (「しんぶん赤旗』08年10月5日掲載)

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2008年7月14日 (月)

吉田隆子の楽譜

吉田隆子作品:
  全歌曲集 「君死に給うことなかれ」 組曲「道」「ポンチポンチの皿廻し」
           「小林多喜二追悼の歌」「お百度詣」ほか ¥3000
  
   ソナタ二調ーヴァイオリンとピアノのために  ¥3000
  チェロとピアノのための「お百度詣」  ¥1000   
   ヴァイオリンとピアノのための「お百度詣」   ¥1000

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現代日本の作曲家3吉田隆子

現代日本の作曲家3吉田隆子
序文  伊福部昭
目次 
  1部 伝記 作曲家への道  小宮多美江
    第1章  「生い立ちの記」
        生まれた家と父ーピアノと母の死ー手づるをつかんでーたのしき仲間たち
        家を出て独立ー生活の苦労をなめる
    第2章  楽壇へ打って出て
        作曲運動はじまるー男名前で評論に進出ーつよく求められた創作ー「兵士を送る」ー
        隆子にとってのプロレタリア音楽運動
      第3章  近代日本の作曲家に
        たか子から隆子へー久保栄と楽団創生ー記念作品「火山灰地」ー支えてくれた女性た               ちへー作品にみる自己表現

  2部 吉田隆子を語る 
       吉田隆子の思い出ーー川尻泰司 久保さんと隆子さんーー宇野重吉 
       せめてあと十  年ーー菅原明朗 同時代演奏家としてーー井上頼豊 
       もしもあの時代にーー増本伎共子 演劇から養分を吸ってーー岡田京子 
       吉田さんのめざしたものーー林 光
  3部 吉田隆子の文章ー復刻
       私の作品について
       本邦作曲界およびそれに付随せるミュージック・ジャーナリズムについての小論
       思いつくままに
       ムソルグスキーと私
       ”新しい内容と民族的伝統”についての走り書き
       リアリズム音楽の探求
       女性演奏家に望むこと
   4部 吉田隆子の仕事      小村公次
   5部 吉田隆子関連年表    クリティーク80編
   6部 吉田隆子の作品      池田逸子
   7部 資料

 
   

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2008年7月 3日 (木)

花岡千春CD 好評

花岡千春の「清瀬保二ピアノ独奏曲全集」2枚組 定価4200円(税込み)は、これまでになく清瀬保二のほんとうの姿を良くあらわしている、との好評を得ています。

ただ、これが、ほんとうに聴きたいひとびとの元に届けられるか、そういう方たちはふだんCDを売っている店にあまり足を運んではおられないのではないかと危惧します。
そこで、音楽の世界社は、いつものようにご注文をお受けして、送料当方負担の定価で、お届けすることにいたします。
どうぞ、気軽にご注文ください。
みなさんに聴いていただかなかったら、それこそほんとに「もったいない」いい演奏なのですから。

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新刊紹介

他社の発行ですが。
清瀬保二作曲「フルートとピアノのためのレントとアレグロ」が、JFC 日本フルートクラブ出版より出版されました。定価は税込みで945円です。
 音楽の世界社でも扱っていますので、いつものようにご注文くだされば、振替用紙同封でお送りします。
 1937年に作曲され、現代日本作曲家連盟の発表会で、フルート 平尾貴四男、ピアノ 宅孝二 で初演されたものです。
 楽譜はその後、改訂がほどこされて残されていました。これまでに、高崎と千葉で若い演奏家たちにより蘇演されています。いずれも演奏者たちが興味深い取り組みをしてくれました。
 JFCによりますと、難易度ランク B となっていますが、清瀬保二の作品への共感が基礎にあれば、演奏は決してむずかしいものではないと思います。
 尺八でも演奏可能かも知れません。
 松平頼則の「フルート ソナチヌ」、平尾貴四男の「フルート ソナチネ」、安部幸明の「フルート ソナタ第1番」と並んで、戦前にこのようなフルート曲があったことが改めて認識されるのは間違いありません。(小宮多美江)

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2008年6月 9日 (月)

新刊紹介

清瀬保二作曲
 無伴奏チェロのための二つの楽章         1,000円(税込み)

監修のことば:柳澤康司
独奏チェロのために書かれた代表的な作品として、はじめにJ.S.バッハの6つの無伴奏チェロ組曲を挙げなくてはならないだろう。バッハ以降に、このスタイルで書かれた作品は、P.カザルスの出現によりチェロ奏法に革命が起き飛躍的な進歩を遂げた19世紀末から加速度的に増え続けて現在に至り、M.レーガー、Y.イザイ、J.シベリウス、Z.コダーイ、P.ヒンデミット、G.カサド、黛敏郎 等々、枚挙にいとまがない。そのどれもが極めて個性的であり、チェロの持っている機能性を自身の音楽言語と結びつけ、この楽器の秘めている無尽蔵な表現の可能性を汲みつくそうとしているかのように思われる。しかし、それらの作品群とはまったく違った峰からチェロを悠然と鳥瞰しているのが、この清瀬保二の “無伴奏チェロのための二つの楽章”と言えるだろう。
チェロのための無伴奏作品では、一台の楽器でより多彩な表現を行うことに主眼が置かれる。4本の弦からより豊かなコードを鳴らすことやフーガの技法などポリフォニックな多層的で立体的な効果を表出させることが特徴であり常套的な手法だったが、この“無伴奏チェロのための二つの楽章”ではこうした手法は極限まで抑えられている。これによって無伴奏チェロのスタイルに対して一般に考えられていたイメージよりもむしろ、作曲家 清瀬保二のパーソナリティと音楽言語そのものの美学が際立ってきているのである。もしこの作品を絵画にたとえるのなら、色彩を排した線と墨汁の濃淡だけで描かれている墨絵のようにも感じられ、機能和声的な概念が支配しているよりも、律旋法的な旋律線の周辺に滲み出してくる実体そのものの響きを捉えているとも言えるのではないだろうか。
 2つの楽章はLentoとAllegro non troppo 緩・急の対照的な構成で曲想は第1楽章がMalinconico〜憂鬱な〜とあり、また第2楽章はシンコペーションのリズムが特徴的な民族舞曲的要素の強いものである。作曲家が細部にわたって書き込んでいる強弱記号からも、ダイナミクスによる実際的なニュアンスやバランスを綿密に計画していることが窺える。また随所に演奏面での工夫も充分に加味され、パフォーマンスする演奏家に対しての配慮を感じさせて興味深い。
1974年の初演後の直筆譜には作曲家が行おうとしたらしい更なる改訂への筆跡が認められるが、残念ながら果たされなかった。今回の監修版は、作曲家自身の幾つかのスケッチと直筆譜、チェリスト井上頼豊氏による初演楽譜などを比較研究して制作した。

作曲年 1973-4
委嘱初演 井上頼豊、1974年3月11日、井上頼豊無伴奏チェロ リサイタル—1965〜1974年の作品による- 青山タワーホール

作曲者のことば
 昭和35年に「ヴァイオリンとピアノのための2楽章」を作曲したが、2楽章の終わりに第1楽章の主題を再現した。このセロ曲も2楽章形式をとったが第1楽章の主題は再現していない。それも特別の形式を意図したわけでもないが、作曲のときの気持ち、或いは発想から自由の形式をとりたいと思っただけである。
 第1楽章はレントで憂愁な感じがゆれ動いている。このため同一音がフラットになり、またシャープになり、まとまりにくい進行で終わっているが、冒頭の主題D音を主音にした律旋法である。
 第2楽章は早い速度で、律動的である。冒頭の主題D音を主音にした律旋法であるが、終曲の2小節で突然G音を主音にした律旋法で終わっている。
 2楽章で終わらせたのも、昭和35年に作曲した「ヴァイオリンとピアノのための2楽章」に通じる発想が無意識にあるかも知れない。不安定な現実からの無意識な所感であるのかどうか。

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貴重な2枚組CD

貴重な2枚組CDが発売となりました。

花岡千春「清瀬保二ピアノ独奏曲全集」 BZCS-3036/7(CD 2枚組)4,200円 税込み
   

 『クリティーク80』最新号と合わせて入手ご希望の場合は振替用紙同封で、割引料金でお求めいただけます。

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『クリティーク80』30号

発行しました

『クリティーク80』30号  2008年6月     800円(税共)送料180円

【清瀬保二全室内楽・第2次出版はじまる】
最新刊:無伴奏チェロのための2楽章 (1973) 
既刊:第2ピアノ三重奏曲 (1955)               1
【掲載楽譜】
歌曲「園丁より」タゴール詩 前田鐵之助訳 清瀬保二作曲 4 〜9
【エッセイ】
「音の言葉」について               岡田京子 10
 郢曲「鬢多々良」にみる─伝統の継承発展とは?   小宮多美江 14
 自分で自分の歴史を書く新響に期待              〃 16
  日本の現代音楽・世紀を超えて                〃 20
【演奏会評】「再現演奏会1941-1945〜日本音楽文化協会の時代」
        動員された音楽                     小村公次 22
        戦争を知らない世代からのメッセージをきく        小宮多美江 23
【洋楽文化史研究会のページ】
 洋楽文化史研究会例会記録…24
【音楽史メモ】
中山晋平を近代日本の音楽史に重ねてみる     小宮多美江 25
【広告】花岡千春「清瀬保二ピアノ独奏曲全集」

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2008年4月18日 (金)

尾崎宗吉 つづき

音楽の世界社発行の尾崎宗吉作品:
  自筆譜による ヴァイオリン・ソナタ第3番         ¥3000
  小弦楽四重奏曲 (パート譜共)              ¥4000
  夜の歌 チェロとピアノのための             ¥1000

 なお、ヴァイオリン・ソナタ第2番は、戦時中に謄写印刷で発行されたスコアとクリティーク80が制作したパート譜がありますので、ご希望の方にはコピーして提供することができます。
 同曲は昨年、渡部玲子さんがとても良い演奏をしてくれました(既報)。
また、オーケストラ曲「田園曲」は、1945年3月の日響(現N響)定期演奏会で山田和男指揮により初演されたものですが、浄書スコアが、楽譜作成工房「ひなあられ」(090-8458-8521)によって作成されています。ちなみに、初演の日はなんとあの東京大空襲の直後のことです!

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2008年4月16日 (水)

現代日本の作曲家1 尾崎宗吉

しばらくの間、在庫あり、の本の内容を順不同で紹介、改めて宣伝することにいたします
                               音楽の世界社 宣伝部
1991年発行のものですが、店頭ではみつけられないので。

現代日本の作曲家1『尾崎宗吉』クリティーク80編著     2000円 送料290円
『尾崎宗吉』 目次
序   文                         林  光
1章  伝記・尾崎宗吉——戦争の時代のなかで       小宮多美江
    その生いたちー静岡県立浜松第一中学校時代—若き才能が期待されたー
    オーディションの意味—現連入会と楽団「プロメテ」阿佐ヶ谷での音楽生活—
    いかにして兵隊になるかー「往け 鉄道兵」を作曲—太平洋戦争緒戦「勝利」の
    あとを行くー最後の創作期間—再びの「御奉公」に逝く
2章 尾崎宗吉を語る
  鬼気迫る絶筆          柴田南雄
  全チェロ曲演奏の念願果たす   井上頼豊
  親友として、ライバルとして   小倉 朗
  類い稀な誠実の人        深井史郎
  尾崎さんを偲ぶうちに      安部幸明
  弟よ              永田文子
3章 復刻 尾崎宗吉の文章    尾崎宗吉
  作品上演に際しての所感
  二つの現代音楽
  戦線便り
  帰還兵の感想
4章 クリティーク80の記録
5章 尾崎宗吉関連年譜
6章 作品とその語法——作品解説、尾崎宗吉の音楽語法
7章 関連資料 演奏会記録、作品別批評一覧、批評文=大田黒元雄、プリングスハイム

コメント1:氷川丸が日本郵船により再び横浜港にあらわれた。戦時中病院船ともなった船である。
尾崎宗吉音楽のドキュメンタリー映画「海軍病院船」は、おりにふれて、その船内で映写されることだろう。ことに、室内楽小品として蘇らせたい音楽もぜひきいて欲しい。
コメント2:2章で尾崎宗吉を語ってくれた人びとすべてが鬼籍に入られたことに愕然としている
コメント3:本文40ページの「往け 鉄道兵」の縦書き歌詞2行目、河北平野の鉄道兵、は 河北平野の鉄道線 と訂正します。

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2008年4月 9日 (水)

在庫書籍内容紹介

しばらくの間、在庫あり、の本の内容を順不同で紹介、改めて宣伝することにいたします
                               音楽の世界社 宣伝部

1995年発行のものですが、店頭ではみつけられないので。直接注文受付ます

現代日本の作曲家3『清瀬保二』クリティーク80編著   2000円 送料290円
  目次
序   文                       佐藤敏直
1部  伝記・清瀬保二——近代日本の作曲をめざす   小宮多美江
  第1章 ベートーヴェンのメヌエットで開眼
     松山の新聞沙汰
     ドイツ兵捕虜の置き土産
  第2章 ふたつの試練で感傷主義を克服
     まず一喝を食らう
     ロダンの言葉に導かれて
     北原白秋の叱責
     邦楽音階の「旅寝」にショック
     山田耕筰先生との再会
  第3章 永住のための上京まで
     目を離さなかった雑誌
     阿佐ヶ谷村に住む
     「いつとなく」のピアノ伴奏
  第4章 新興作曲家連盟以後
     作曲家としてみとめられる
     「山田耕筰の作曲論」
     次ぎの世代へひきつぐ
2部 清瀬保二を語る
  新興作曲家連盟誕生へ    松平頼則
  清瀬讚———手紙のかたちで 山根銀二
  清瀬さんを偲んで      安部幸明
  満々たる野心を聴く     間宮芳生
  清瀬保二の音        武満 徹
  大きい手          林  光
  会わない出会い      池辺晋一郎
  清瀬保二さんの印象     志村 泉
3部 清瀬保二関連年表
4部 研究・清瀬保二の啄木歌曲集 小宮多美江
5部 資料        クリティーク80編

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2008年3月26日 (水)

戦争を知らない世代からのメッセージ

                                         小宮多美江
 近代日本の音楽の歴史を書くには、人びとの耳に届いていない多くの作品を音にすることからはじめなければならない。私も試みてはきた。
 『音楽を動員せよー統制と娯楽の十五年戦争』(青弓社)を上梓した戸ノ下達也が中心になっての、洋楽文化史研究会主催、「再現演奏会1941-1945〜日本音楽文化協会の時代〜」(2月16日、旧東京音楽学校奏楽堂、ピアノ 寺嶋陸也、藤岡由記、フルート 荒川洋、合唱 栗山文昭 コ=ロ・カロス)も同じように見えたかもしれないが、結果は、研究のためなどという小さな目的をこえて、はるかに強いメッセージを発信していた。
 曲目の第一部は室内楽で、早坂文雄と清瀬保二のピアノ作品および安部幸明のフルートとピアノのためのソナタ。
 第2部は合唱で、戦争中の歌の数々を、とくに敗戦ま近かの下町を背景として展開された音楽挺身隊活動を衣装から人物の動きまで再現しながら演奏した。
 ピアノで「燃ゆる大空」、以下、合唱、ソロ交えて、「音楽挺身隊歌」「日本の母の歌」、決戦楽曲「怖れを知らず」「神風節」「国難に起つ」「み鉾とり」に続いて「大日本の歌」「愛国の花」「空の神兵」、そして玉音放送をきいて「海ゆかば」。さいごに、柴田南雄の混声合唱曲「霞立つ」、「梅咲きぬ」が歌われた。
 戦後の曲として知られている柴田の合唱曲があえてここに組まれたのは、かれが日本音楽文化協会事務局にいて、一連の決戦楽曲の作曲依頼に忙しかったときの作だからである。
 全体としてみると、ジャンルが微妙に織り交ぜられている。これは、企画構成者の、社会とのかかわりなしに音楽を考えることはできない、その場合、芸術か大衆音楽かの垣根は取り払わなければならない、との考えによるが、事実、近代百年の歴史のなかで、唯一あの時代だけ区別なく音楽界が一元化されたのだ。
 さて、洋楽文化史研究会の一員であり、実行委員の一人でもある私自身は、演奏会開催の決定段階から当日の運びまでの一部始終をインターネットを通じて眺め続けた。会場取り、内容決定、演奏者交渉、宣伝の展開、プログラム作成、券の販売、合唱団の練習見学、あらゆる仕事を、じっさいに会員ひとりひとりが役割分担実行した。プログラムには研究会員のいくつかの小論が載せられ、当日の聴衆に配られるよりも前に、出演者たち一人一人に配られた。なぜなら、出演者は全員、戦争を知らない世代なのだから。
 もうひとつ。徹底した宣伝は、よくありがちな義理の客ではなく、聴く意思をもった聴衆を集めることに成功、ほどよく会場を満たした。かれらの耳は「再現」の意味をよくかみしめながらきいてくれた。作曲家の書きたい、聴いてもらいたい音楽をはっきり捉えてくれたし、その前に、演奏家もまた作曲家が表現したいものは何か、演奏家の表現とは何かの根本課題に真剣に向かい合った。
 たとえば、研究会員でもある奏者は、山田耕筰の音楽挺身活動檄文と高木東六編曲「燃ゆる大空」を前にして、なかなかピアノに向かえなかったと告白している。彼女は会の終わった後、聴衆のひとりとなってくれた祖母と、はじめて、戦争の時代の音楽の話をしたという。
 ひとびとの耳にいやでものこってしまった歌、歌ったにちがいないたくさんの歌もあったというその記憶は、私も含めて全国の戦中世代に共通していることもわかった。
 さて、研究会の残務処理の知らせには、次ぎなる例会企画とさらに若い世代への会員獲得のハッパがかけられている。いつも新鮮な刺激を受ける研究会に私もいつまでも参加したいと思っている。
 洋楽文化史研究会はhttp://yougakubunkashi.gozaru.jp/
                         (「しんぶん赤旗」08年3月17日掲載) 

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2007年12月15日 (土)

音楽資料シンポジウムから

「しんぶんアカハタ」2007年12月13日、9面(日本近代音楽館提供の写真含む)に掲載。

音楽資料の保存と活用  各国の特徴さまざま              小宮多美江

 文化庁の「音楽情報・資料の保存と活用に関する調査研究」報告書(ニッセイ基礎研究所)がまとめられたのを機に、シンポジウム「日本の音楽資料・情報を考える」がひらかれた(日本音楽学会関東支部、音楽図書館協議会ほか共催、11月10日、東京音楽大学)。
 一般には極めて地味なテーマであるにもかかわらず、90名を数えるほどの参加があったのに驚いた。それは、長い間各音楽大学図書館などで、こつこつと使命感をもってこの仕事を支えてきた人たちがこれだけたくさんいたということなのであろう。
 調査は第1次小泉内閣の文化庁長官に、民間人としては17年ぶりに就任した河合隼雄氏が、挨拶に「不況のときこそ文化にお金を」と発言したのが発端のようで、平成14(2002)年12月の閣議決定「文化芸術の振興に関する基本的方針」に基づいている。
 報告書は、初年度は国内の音楽関係個人、団体へのアンケートやインタビュー、第二年度は外国の国立図書館や専門施設などの実態調査、それに数回の関係者懇談会や専門家による研究会をへて、問題点の指摘と今後の方向を示したたいへん内容豊富なものになっている。
 外国とは、英米独仏の先進四カ国。我が国の現状とくらべたら、へだたりの大きさにため息が出るばかりと思われたが、手にとってみれば、歴史的社会的背景と音楽生活自体のちがいも反映して各国それぞれにおもしろい特徴があることもわかり、大いに興味をひかれた。
 大体においてヨーロッパではどこでも音楽院の図書館が最初だが、アメリカでは議会図書館のほかにニューヨーク舞台芸術公共図書館があるのはさすがミュージカルの本場。近年どこでも苦労しているのが収納スペースの問題。アメリカでは議会図書館が、保存に適した場所として核シェルターを利用しはじめていることなどおもしろい。
 さて、永田町の国立国会図書館は戦後、アメリカにならって設立された。納本制度によって書籍その他が収集されているが、楽譜ももちろん、レコードなども納本対象になっている。
 しかし我が国では楽譜や音楽書は大手取り次ぎに取り扱われることはなく、かろうじて楽器店というまったく別の流通ルートに乗るのが現状なのである。だから、一般書籍のように取り次ぎにまかせるわけにはいかない。
 そもそも國会図書館には音楽専門の司書はゼロ。それに対して、米国議会図書館の音楽部門のスタッフは約五〇名が所属しているという。
 国会図書館ではまして、私などには不可欠な作曲家の自筆稿など出版物ではないものは、いまのところ視野に入っていない。それらについては、この四十年来、遠山音楽図書館から日本近代音楽館へと発展してきた日本近代音楽館が私たちの唯一の頼りになっている。じつはこのシンポジウムも同館スタッフが企画した。
 文化庁には國の力によって、この日の参会者の強い願いと熱意を汲み、報告書をじっさいに生かし、じっさいの力として働く方向へと、ぜひ、生かしていって欲しいと願う。

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